私の体験談 (福島タツさん)
私は現在88歳で、元気で信仰生活を送らせていただいています。私は38才の時、人生にむなしさを覚え、教会に通い始め、キリストの救いにあずかり、洗礼を授けていただきました。 もう50年の信仰生活になりますが、その間の一番大きな試練は、約20年前2年の間に、夫の召天と次男の死(享年45歳)を体験したことでした。
それが聖書の写本をしてみようという動機にもなったのですが・・・。
夫の召天は悲しみの中にも希望がありましたが、最愛の次男の死は検査中に血液にばい菌がはいってしまう敗血症による死でした。半日のうちに容態が悪化し、苦しみの中あっというまに死んでしまいました。 心の備えなどあるべきもなく、悲しみのどん底に落とされたようでした。 胸の張り裂けるような悲しみ、つらさ、苦しさの毎日でした。聖書を読むことも、祈ることもできない、真っ暗な涙、涙の日々を送りました。
しかし、立ち上がらせてくださったのは、多くの方々の祈りと、神の御言葉、聖書でした。聖書を読めばイスラエルの王、ダビデさえ、息子アブシャロムを失った時、取り乱して嘆いています。 私のような無学で信仰の薄い者が嘆くのも当然だと思いました。 「私にも必ず地上を去る日が来る」と思った時、信仰に生きた証しを何かの形にして残そうと考えました。そして私の命の糧である聖書全巻を写本しようと思いついたのです。 1989年のことです。大学ノートを買い、執筆に入りました。祈りながら、一語一句間違わないように気を使いました。間違えれば上より紙を張り、書き直しの繰り返しでした。 また、その日の気候や出来事などを記したりもしてみました。日常の家事や生け花を習いにみえる生徒さんに教える多忙な生活をしながら、時間を作っては机に向かいました。
10年を目標としてきましたが、3年4ヶ月で全巻の写本を終了しました。大学ノート26冊にもなりました。それを嫁と孫が製本してくれ、4冊の聖書になりました。 この写本は私の唯一の財産であり、遺産です。聖書の神は、悲しみや苦しみを喜びに変えてくださいました。